約四百年前、清洲の城下町がそっくり名古屋に移動した清洲越しに端を発します。
慶長年間、関ヶ原の合戦で勝利を納めた徳川家康は、大阪方の勢力を威圧するため名古屋に城を築くことを計画します。
九男義直を城主に、豊臣方の加藤清正、福島正則などを味方につけ名古屋城を築きました。
そして、城下に町を開くに当たって、家康は清洲の城下町を一気に那古野に移転させ、名古屋城の城下町にしました。
この歴史に残る大移動が清洲越しです。
町が整うと地名も那古野から「名古屋」に改めました。
大須観音、朝日神社、松坂屋なども清洲越しで移されたものです。
移された町の中にこの発展会の旧町名である小市場町がありました。引っ越してきた当時は北市場といっていました。しかし何時の頃からか、「北」の字を「小」と書き誤り、そのままになってしまったとのことです。
市場には市日があって魚類や野菜を商う人がここに多く集まり商売をしていました。ここは町の人々の胃袋を満たす台所だったのです。その町名を引き継ぐように今でも多くの飲食店で賑わっています。
久屋大通西南地区発展会は、セントラルパークを南北に走る久屋大通に面し、北は東急ハンズアネックスから、南は広小路通りまでの地区(四組)の会員により組織されています。
もともと、この 地区に古くから存在する小市場町町内会が、地域発展のため、当発展会を誕生させました。
(錦三丁目十七年間の歩み 参照)